2012年9月12日水曜日

マンガの英訳チェックで感じたことなど その3 フォント


その 3 (ラスト)   その1 その2 その3

WPドイツ語版(かれこれ10年以上前)では、フォントは一つだった。手書き文字だろうが、日本語側でフォントが変わっていようが、がっちりした書体一本でゴリゴリ(その太字と斜体)。でもって全大文字。今は手書き文字には専用の、でまあ、それなりに状況に応じて幾つかの書体を使うのが一般的みたい。
⇚ウェディングピーチ英語版(03-4年頃)ではフォント使い分けていた。アフロディーテ様は専用のフォントをお持ちだったのだが、コレが読みにくいこと…^^; ここからどんな声を想像するのだろう…想像を絶する。だけど、手書きセリフのフォントは無かった。

出版社によって、あるいは編集者によって、書体の数や種類が違うのは日本も同じだろう。特にPCを使う今となっては使える書体も幅が出ているだろうし

(幅がないところもある。書体には限りがあるから、ここは変えられませんと言われた>日本 コレはちょっと驚いたね、小学館ではもっといっぱい使っていたからね)

欧米では、いわゆる手描き文字(SFX)にも「活字」を変形させて使うことが多いから、必然的に使う書体数は多くなってくる。

という状況であるからか、真空地帯の担当「かわいい猫(以下K)」ちゃんはフォントにこだわる。

「基本のフォントは、この話にはコレがあうと思います」(え、マンガごとにフォント変えるの?)「この場合はこのフォントがいいと思います」(オリジナルでは同じフォントだけど…?)「ここの囁き声はこのフォントがいいと思います」(よく見ないと違いが分からないな…) 「・・・どう思いますか?」

私はあまり多くのフォントを使わない方だと思う。スタンダード、回想、モノローグ(思考)が基本。あとせいぜいナレーションくらい。場合によってはポップ書体なぞ使うこともあるが、例外的。基本フォントで表すのは「音質」の差だと思っている。

だから、マイクとかTV音声とかは出来れば書体を変えたい。逆に、想定される音(音質)が同じなのに書体が違うと、むしろ違和感を感じたりする。音の感覚だけだから、逆に一書体で通しても特に苦痛はない。「状況」からわかる事を補強しているだけの話だから。(手書き文字は書体変えて欲しいけど)

スタンダード
モノローグ

回想
もともとワープロ時代(同人誌のネームね)は選択の余地がなかったわけで、だからといって特に不満もなくって。モノローグと会話の区別がついたらいいなあ、程度のものだった。

小学館でやってた頃は、編集部の方針みたいのがあって、編集者がその中で適当に対応していた。特に口も挟まなかった。全面的に「結構です」って思ってたわけじゃないのだけれど(だから、どうでもいいってわけでもないんだよね)まあ「こんなものだろー」と思ってた。そもそもが受動的なのだ。
「ぴょんぴょん」から(いただき!パンサー)
子供向けだったからか、よくぶっとい書体を使ってたなあ。この「あ…」は違うと思うわけよ、アタシはw
同人誌一緒にやっていたヒトの中には、いろいろ書体に拘る人もいて、そういう人は装丁とか「本」全体に拘る人だった気がする。自分はマンガが描きたいんであって、本を作りたいんじゃないわけで、そこら辺の違いかなーという気も。

「Twitterなんかみてて、欧米は日本よりもフォントに拘る人が多いような印象があるんだけど~?フォントでセリフのニュアンスを出そうとしているみたいだね~」、なんてKちゃんに言ったら、「英語ではフォントは表現の大事なポイントだから、特にマンガやコミックのフォント選びには気を配る」とのこと。it can add nuances to the words, many people are very sensitive to changes in font that might otherwise be unnoticeable.「フォントの変更なしでは見過ごされてしまうかもしれないニュアンス(を言葉に加えることができる)」のだそうだ。

太字や斜体もよく使う。どの単語にストレスを置くかで全体の意味が違ってくる場合があるからだろう。日本だと傍点を打つのがコレに当たるかな、と思うけれど、然程頻繁には使われない(と思う)。

マンガでは―少なくとも自分の場合は、フォントはあくまで補強要素だ。そもそもの始めから、基本編集者に丸投げだし。自分でやる時には大きさには多少拘るけれど、イレギュラーな書体を使う場合というのはコミカルなシーンがほとんどだと思う。あと「地獄からの声」的なやつかなw でもあれも適宜やらないとギャグっぽく見えてしまうと思うのは私だけか…?

↓マイク音声とかは変えたい(Moon & Blood)  

日本語はフォントでニュアンスを伝えるというのではなくて、細かい言い回しでそれをするんじゃなかろうか。少なくとも自分はそう意識してる。で、文末に…を入れるかどうするか、…をダブルにするかシングルにするか、そういう瑣末なことで悩んだりする。「よ」でおわるか「だよ」で終わるか、とかね。

まあ、見苦しくなって流れを妨げるようなことがない限り、何十種類のフォントを駆使しようと問題はない。そして、見苦しいかどうかを判断するのは日本人の私にはムリ。アルファベットに対する感覚とか違うと思うし、フォントのニュアンスも英語ネイティヴと共有できるとは思えない。(結構うるさく見えちゃうんだな、コレが^^;)

色んなフォントが混在すると却って「コレは回想」「コレは考え」「コレは普通の会話(音として聞こえている)」て区別が瞬時に目でつかなくなって、紛らわしいだろう、流れの邪魔になるだろう、と思うんだけど、これはマンガ的な感覚なのか、自分個人だけの感覚なのか…

日本人的な感覚でフォントとレイアウトを処理して、「これが本当のマンガだ!」と見せるのも有りかも知れないが、それはそれで別の機会にするものだろう。編集者がいる場合は、そこは彼らに任せる場所だと思う。

またこれが、マンガのジャンルにもよるんで、リアルに近づけたいマンガほどシンプルにいきたい。例えばウェディングピーチなんかはカラフルで構わない、むしろ可愛くていいかも。でも真空地帯はどうよ…って。

フォントそのものより、個人的にはむしろサイズの方が気になる。これは翻訳字数の都合上致し方ない面もあると思うけど、本来同じサイズであるべきものが大きくなったり小さくなったり。

ああ、ここは行を細かく分ければもう少し大きいフォントでいけるんじゃ…なんてこっちが気になるところは平気で出してきたりするのが不思議。フォントのサイズで声のボリュームも表現しているつもりだったりもするんだけど(…ある程度は)

これは編集者の個性なのか、一般的なものなのか分からないが。「(スペースに応じて)端折ったりしてください、問題があれば(どうしても端折られたくない箇所だとか)こちらでチェックしますから」とお願いしているけれど、どう出てくるか(未だ途中)。
↑DMPの場合。真ん中は手書きの部分ね

あと、全大文字ってヤツ。外国人にはとっても見難くて読みにくい。一つ手がかりも消えるし(頭が大文字だから固有名詞だな、っての)。以前アメコミ関係の人(日本人)に聞いたところ、「アメリカ人には見やすいから」との答えが帰ってきて、そうなのかぁと思った。

昔クローズドキャプションも全部大文字だったような記憶が(あやふや)あるけど、今DVDの英語字幕とか見ると普通だよねえ…普通じゃダメなのかなあ…。

まあさ、あれよ、そんなに拘るほどのものかよ、って言われると、確かにそんなに拘ることなかったりするんだけどもね、うん。
※書いてみたら、英語版とは結構違った事になりました^^;